こんにちは。たけのこです。
来てほしくなかった日
サンフレッチェ広島のバンディエラ、青山敏弘選手の現役引退発表がありました。
昨年から試合出場が少なくなられていたし、年齢的にも「もしかしたら」という予感はうすうすありましたが、考えないようにしていたというか、考えたくなかったことでした。
最近は、優勝争いもあり、ACL2グループステージ中でもあり、考えずに済んでいました。
そんな中突然、中国新聞デジタルに引退の情報が掲載されていることを知りました。
中国新聞に掲載されるってことは、おそらくほんとです。
短いその記事を読んで、「意外」でもなく、「やっぱり」でもなく、ただ「とうとうきてしまったか」という気持ちでした。
記事の画面を開いたまま、しばらく固まってました。
はっきり涙が出たのはわからなかったけど、気づくと両目尻がちょっとだけ濡れてました。
ひとつの時代が終わってしまう寂しさが大きいです。イコール、自分が歳をとったことを思い知らされた寂しさなんですよね。
青山敏弘選手の記憶
私がサンフレッチェ広島の試合を観戦し始めたのは、ヴァレリー監督の頃からです。
私が見始めてから入団された選手の中で、試合に出場し活躍し続けているのに、ずっとサンフレッチェ広島にいてくださった、初めての選手が青山選手です。
「試合に出場されなくなると、出場機会を求めて他のチームに移籍してしまう」「試合に出場し活躍すると、他のチームからよい条件のオファーがきて移籍してしまう」このどちらかになるイメージしかない中、活躍し続けているのに、ずっと広島にいてくださいました。
ラストパスがすごくて、特に佐藤寿人選手とのコンビネーションで、たくさんの得点を見せてくださったのと、一番覚えているのは目の前で見たロングシュートです。
Jリーグ公式チャンネルでも紹介されてました。
これを生で見れたのは、幸せでしたね。
優勝した年です。この時のレプリカユニフォームです。
この頃は、子供もまだ小学生で、いっしょにビックアーチに観戦に行ってました。
我が家が一番幸せだった頃です。
今、新スタジアム「エディオンピーウイング広島」を知ってしまうと、現地に行くのは遠いし、スタジアムでも試合が遠くて見づらいし、雨が降ると大変でしたけど、あの頃の自分や家族はもう二度と戻って来ません。とても楽しかった家族3人での観戦の日々。
その頃に、めちゃくちゃ活躍されていた不動のボランチ。それが私にとっての青山選手です。
2015年のJリーグMVPですね。当時、Jリーグアウォーズを見ましたが、どんなスピーチだったか見返したくて、探しました。
かっこいいですね。この時で広島12年目ですか。広島のことをすごく思ってくださってます。
青山選手J1通算400試合出場記念直筆サイン入りボールも、購入していました。
やっぱり青山敏弘選手は、私にとっても特別な選手でした。
青山敏弘選手の引退発表コメントを読んで
サンフレッチェ広島公式サイトで、引退のコメントが発表されていました。
私たちファンは、青山選手がサンフレッチェ一筋でいてくださったことに感謝しています。
それが一方通行ではなく、
青山選手も、選手生活のすべてをサンフレッチェ広島で過ごされたことについて、大きな誇りを感じてくださっていることがうれしいです。
なぜこのタイミングでの引退発表だったのか、伝わってくるものがあります。
夢である「新スタジアムで優勝」に向けて、クラブ、選手、ファン・サポーター、そして青山敏弘選手ご自身のエネルギーを最大限に持って行きたかったのかなと、想像しました。
みんな優勝したいのは当然ですが、そこに「青山選手のためにも」という大きな意味が加わるわけですからね。
スタッフ、選手の内部だけが知るより、ファン・サポーターが知ることで、とてつもない大きなエネルギーになると思います。
ファン・サポーターに、見に来る機会を与えてくださったのもあるかもですね。
J1リーグの残り試合については完売していますけど、今週水曜日のシドニーFC戦、12/5の東方戦はまだチケット買えますからね。
私はもうチケットを購入しているので変わらないですけど、このニュースでチケットがさらに売れるかもしれませんね。
どんなドラマが待っている?
残念ながら、昨日10/19の湘南ベルマーレ戦は負けてしまい、勝ち点は増やせませんでした。
湘南ベルマーレ。広島のホームゲームの時も強くて、大橋選手のゴールでなんとか勝てたのを覚えています。だから、不安はありましたが、やっぱり強いチームでした。なぜ残留争いに巻き込まれているのか、わからないくらいです。
ある意味、優勝を目指すエネルギーより、残留を目指すエネルギーの方が大きい可能性あるかもしれないなぁと、感じるくらい強かったです。
サンフレッチェが優勝にも降格にもからまない年は、どちらかというと優勝が決まる試合よりは、残留争いの試合が見たくなります。それくらい残留争いには選手の勝ちたい気持ちを感じるし、ドラマがありますから。
でも、負けるところが想像できなかったヴィッセル神戸もFC東京に敗れ、順位は変わりませんでした。
まさに、不幸中の幸いです。
あと4試合。どんなドラマが待っているのでしょうね。
楽しみ、というよりは、恐いくらいです。
湘南ベルマーレ戦は、途中から心臓が痛いくらいバクバク動いてて、身体に力が入りすぎて見てましたから。試合後、疲れ切ってフローリングの上で寝ちゃいましたから。そのくらい、毎回エネルギーを使うんでしょう。
でも、新スタジアム元年も、青山選手の引退も、今年しかないですから。今年なにがなんでも優勝したいですよね。
そのために私にできる唯一のこと。「応援」を、ただひたすらにがんばろうと思います。
2024/10/21の引退会見を見て
びっくりしました。帰宅中のアストラムラインの中で、スマホを開いたところ、シーズン後と思っていた引退会見が、シーズン真っただ中である昨日、もう開催されました。
帰宅中のアストラムラインの中で、スマホを開いて会見を知りました。
思わず目についた記事を読んだのですが、ちょっと読んだだけで目の裏のあたりがじわっとして、涙が出そうになってしまいました。
アストラムラインは結構混んでいて、つり革を持って立っている状態だったので、こんなところで急に泣き出したら周囲から「どしたん」と思われそうだったので、慌てて記事を読むのをやめました。
窓に映った自分の姿は白黒だったからよく見えなかったですが、少し鼻が赤くなりかけていたかも。
帰宅してからYoutubeに上がっていた会見抜粋の動画を見ました。その後、サンフレッチェ公式からも会見の模様が配信されました。
特別に青山選手のファンというわけではなかった私も、涙が出ました。
一番心を打たれたのは、サンフレッチェ広島への思いを強く持ち続け、移籍を考えられたことがなかったこと。そしてこれからの夢も、このクラブで指導者となり、監督として日本一になること、と語られたことです。
恥ずかしながら私、気づいていませんでした。
新スタジアムが出来て、盛り上がっている今ではなく、優勝しても選手がどんどん移籍していた頃から、青山選手がそのような気持ちでいてくださったことに、です。
私は佐藤寿人選手が好きだったんですよね。理由は、J2に降格が決まったその日に「いっしょにJ1に戻ろう」と言ってくださったからです。
佐藤寿人選手ならJ1のクラブに移籍できると思うのに、そのようなわかりやすい言葉で自らサンフレッチェ広島に残ると言ってくださったから。
J1で優勝しても、試合に出られている選手が移籍してしまう。このことで、サンフレッチェ広島って選手から選ばれないクラブなのかな・・と思ってしまっていたので、もっと早く青山選手の気持ちに気づきたかったです。
最近、青山選手のことを調べていたら、塩谷選手と同様に、5年契約を結んでくださっていたんですね。
「サンフレッチェ広島にこだわってくださる選手」を応援したいのに、完全に私の情報収集不足でした。
引退会見の発言すべてがかっこよすぎます。すごいサッカー選手だっただけでなく、サンフレッチェ広島にとっても、特別過ぎる選手だったんですね。
今さら気づきました。だから「6番ユニフォーム」を選ぶサポさん、多かったんですね。
昨年から、あまり試合には出られていませんでしたが、今年のユニフォームも6番を多く見ます。
こういうのが、プロスポーツ選手としてのブランディングなんでしょうね。青山選手は、信念でプロスポーツ選手として成功され、今後の地位も約束されたのでしょう。
引退されることになって初めて、ちゃんと青山選手のすごさに気づくことができました。
2012年のレプリカユニフォーム、J1通算400試合出場記念直筆サイン入りボールを購入していた主人に感謝です。
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