数年前、郊外に新しいアウトレットモールができたんです。
ちょっと気晴らしに行ってみようと思って、ふらっと出かけてみたんですけど……帰り道、なんだか不思議な気持ちになりました。
昔だったら、ああいうところって宝の山だったんですよ。
あれも欲しい、これも素敵、って目がキラキラして、どれを買おうか悩む時間すら楽しかった。
でも今回は、そうじゃなかった。
なんだか、心が動かない。
「これ欲しいなぁ」と思うものはゼロじゃなかったけど、自分が働いたお金でわざわざ買いたいと思うほどのものは、なかった。
そのとき、ふと考えたんです。
私は、何のために働いてきたんだろう?
何にお金を使いたいのかな?
お金を使った先に、どんな満足が欲しかったんだろう?って。
学生の頃の私は、貧乏でした。
だからなのかもしれません。
自分の子どもには、同じ思いはさせたくない。
家賃で悩んだり、仕送りが足りないって不安にさせたくない。
そんな気持ちが、働く理由になってたんだと思います。
望むなら、私立大学でも行かせてあげたい。
友達と同じような部屋に住まわせてあげたい。
「お金がないから無理」なんて、子どもに言いたくなかったんですよね。
気がつけば、そんな思いが、ずっと私のエネルギーになっていました。
でも今、子どもももうすぐ大学を卒業します。
肩の荷がひとつ降りた気がするけれど、その代わりに浮かんできたのは、自分の老後の心配です。
定年までに、ちゃんと貯金しておかなくちゃ。
そんな思いで、働いています。
それでも。
それでも、今お金を使って、心から満足だと思えるものがあるとしたら――
それは、サンフレッチェ広島の試合を現地で観ること。
DAZNで見てももちろん楽しいけれど、やっぱりスタジアムのあの空気を感じたい。
応援の声やピッチの熱気、同じ紫を身にまとった人たちの熱い想い。
そこに自分も混ざって、心から叫びたい。
だから、お金はかかるけれど、ホーム戦は現地観戦。
それが、私にとっての「贅沢」です。
アウェイにも行けなくはないけれど、そこまでは望まない。
自分の中で線を引いて、「ここまでなら贅沢してもいい」と思えるところで、満足しています。
あとね、ちょっとしたお茶の時間も、私の幸せです。
コメダ珈琲でコーヒーを飲んで、軽食を食べて、ぼーっとする。
コーヒーを、たっぷりサイズで注文する。
それだけで、なんだか満たされる。
ショッピングセンターでちょっとお茶して、雑貨を眺めて、それで帰る。
それだけで、ふっと心がゆるむ。
若い頃に比べると、欲しいものは少なくなったなあって思います。
海外旅行?もういいかな、疲れちゃうし。
高級なレストラン?あまり気が進まない。緊張して食べた気がしないし。
それよりも、地元のスタジアムで叫んで、コメダでほっとして、家でDAZNつけて、ブログを書いてる。
そういう毎日のほうが、私には合ってる。
こうして、人は少しずつ変わっていくんですね。
価値観も、幸せのかたちも、お金の使い方も。
大げさなことじゃなくて、ささやかな満足で心が満たされるようになってきた。
そしてそれが、今の私にはちょうどいいのかもしれません。
たいした話じゃないけれど、同じようなこと感じてる人がいたら、ちょっと嬉しいです。
ちなみにうちの主人も、似たような感覚らしいです。
だから、うまくやってこれてるのかもしれませんね。
価値観が似てるって、大切ですよね。
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