宅配便でお米が届いた。
おとといの夜メールでお願いしたら、実家の両親がすぐ送ってくれたのだ。
「しゅんちゃん、鳥取のじいじばあばからお米が届いたから、後でお礼の電話してくれない?」
いつもお礼の電話は、息子のシュンスケに頼んでいる。
理由は、両親が初孫のシュンスケを溺愛しており、娘の私よりシュンスケの声が聞きたいだろうから。
中学3年のシュンスケは、日本史の教科書を持って二階から降りてきた。
「じいじばあばの電話番号何番?」
「今からなら私がかけるけど、時間大丈夫?」
「うん。じゃあかけて。」
ベルが鳴り始めた受話器を渡すと、シュンスケはソファに座った。
電話はじいじが出たらしい。
中学の卒業式の話。
高校でなんの部活をするのか。
学校は楽しいか。
春休みは何をするのか。
じいじの電話はいつも長い。
退職して8年。ばあばとふたり暮らしで、私を含め2人の子供は遠方に住んでいる。
寂しいのだろう。電話をかけるとなかなか話が終わらない。
ひとつの話が終わりそうになると話を変えて別のことを話しだす。
なかなか電話を切るタイミングをつかむのが難しいのは、私も何度も経験していた。
まだ話したいんだろうと思うと、こちらもなかなか電話を切ることはできない。
正直なところ、私はこの話の長さにいつもひどく疲れてしまうのだ。
それもお米のお礼電話を、いつもシュンスケに頼む理由だった。
電話をするシュンスケの様子を見ると、話をしながら日本史の教科書をぱらぱらめくっている。
テスト前だったのかもしれない。
きっとシュンスケは電話を切るタイミングを探している。そろそろ切りたいのだ。
でもじいじの気持ちを考えて、うまく合わせて話を続けているのだろう。
優しいな。
電話はばあばに変わったようだった。
「学校?うんすごい楽しいよ」
ほんとかなあ。ばあばを安心させたくて言ってるのかな。
しかし、シュンスケのじいじばあばへの接し方には感心する。
母親である私にはいつもそっけなく、学校の話もたいしてしてくれないのに。
やっと電話が終わった。30分は話していただろうか。
「しゅんちゃん、対応ありがとね。長くなってごめんね。」
素直なねぎらいとお礼だった。
返事は期待していなかった。
すると、思いがけない言葉が返ってきた。
「対応とか言わんでや。対応してないし。俺はじいじと話したくて話したんだから。」
はっとした。
そうだ。「対応」という言葉には、「仕方なく」「義務で」「つらいけどがんばって」そんな意味が含まれていたかもしれない。
「ごめんごめん、対応という言葉はよくなかったね。でもありがとう。」
慌ててそう言った。
いつしか私は、自分を育ててくれて、たくさんお世話になった両親と長電話することを「対応」と考えていたのか。
反省した。恥ずかしかった。
果たしてシュンスケも、本当はどう思っていたのかわからない。
だけど、「対応じゃない」と言うシュンスケは、カッコよかった。
日本史の教科書を持ち、いつものように二階の部屋へ上がってゆく。
あと3年で高校も卒業か。この家を出ていってしまうのかな。
こんなやりとりができるのは、あとどのくらいだろう。
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