「それ、常識でしょ?」という人に感じる違和感と恐怖

雑記

「それ、常識でしょ?」

そう言われたとき、私はいつも、胸の奥がザラつくような感覚になります。まるで、自分の人間性そのものが否定されたような、冷たい水をかけられたような気持ちになるのです。

だけど、その「常識」は、本当に“みんな”のものなのでしょうか。

「常識」は、人によって違う

社会の中にはたしかに、多くの人が共有しているルールや暗黙の了解が存在します。それが「常識」と呼ばれるものなのかもしれません。でも、それはあくまでも「一部の人たちが共有している価値観」にすぎないと、私は思います。

例えば、育ってきた家庭、地域、職場の文化、それぞれで「当たり前」は変わってきます。年齢や性別、生活経験によっても変わる。だから、「みんなが知っていて当然」という前提で語られる“常識”には、どうしても違和感を覚えてしまいます。

「常識」を振りかざす人に、怖さを感じる

「なんでそんなことも知らないの?」

「普通はこうするものでしょ?」

「それって社会人としてどうなの?」

こんな言葉を並べてくる人の背後には、自分が正しくて相手が間違っているという確固たる前提があります。しかもそれを、「常識だから」という一言で片づけようとする。その姿勢に、私は恐怖を感じます。

「常識だから」ではなく、「私はこう考えている」という言い方なら、きっと全然印象は違うんです。違いを認めたうえでの対話なら、ちゃんと聞ける。でも、「常識」の一言で自分を上に置く人の言葉には、どこか暴力性を感じてしまいます。

そういう人が、権力を持ったら

もっと怖いのは、そういう人が職場の上司やリーダーになったときです。

組織にいる人たちが、「それ常識でしょ?」の一言で黙らされる。異なる意見を言えなくなる。空気が重くなり、挑戦や変化が許されなくなる。そんな空間で、人がのびのびと力を発揮できるはずがありません。

私はそんな職場が怖いし、そんな上司の下では、自分らしく働けないと思ってしまいます。

友達にも、なりにくい

こういうタイプの人とは、正直なところ、友達にもなりにくいです。

ちょっとした会話でも、自分が否定される気がしてしまう。気を遣って言葉を選んでしまう。知らないことがあっても、素直に「知らなかった」と言えない。そんな関係は、しんどいです。

だから、同僚としても自然と距離を置いてしまうし、必要以上に関わらないようにしてしまいます。意識しているわけではないけれど、心が勝手にかまえてしまう。

自分がどうありたいか

私は、自分が「常識でしょ?」という言葉を使う人間になりたくありません。

相手の考えを「それは非常識」と切り捨てるのではなく、「そう考えるんだね」と受け止められる人でいたい。知らないことを知ったとき、「そんなことも知らないの?」ではなく、「教えてくれてありがとう」と言える人でいたい。

人はそれぞれ、違う背景を持って生きている。そのことを忘れずにいたいです。

まぁ正直なところ、時々似たようなことを言っちゃうんですけどね。

「普通よねぇ」「普通はさぁ」「普通なら~」とか言っちゃいます。

いつも言ってからハッとして、「少なくとも、私には普通なだけだけどね」と付け加えて、訂正してます。

プロフィール
この記事を書いた人
たけのこ

50代女性会社員です。子育てがひと段落し、趣味を楽しみながら定年までの会社員生活を過ごしています。
趣味はサンフレッチェ広島を中心としたJリーグ観戦。最近はWEリーグも気になり始めました。その他、好きなYoutuberさんの話など、日々気になったことを綴っています。

たけのこをフォローする
雑記
スポンサーリンク

コメント