学生時代、自分の性格に悩んでいた
学生時代、自分の内向的な性格に悩んでいた時期がありました。
人と打ち解けるのが苦手で、グループの中で自然に笑い合うことができない――そんな自分が情けなくて、もどかしくて。特に教育実習の合宿では、仲間が楽しそうに交流する姿を見て、ひとり心が沈んでいったのを今でも覚えています。
そんな頃、偶然手に取ったのが本多信一先生の著書でした。
タイトルも内容もはっきりとは思い出せないのですが、「内向型のままでいい」という言葉に救われた記憶だけは、ずっと心に残っています。実はその時、感謝の気持ちを込めて、本多先生に**お礼の手紙(ファンレター)**を書いたこともあるんです。
今日、そのことを突然思い出しました。
30年以上経った今、もう一度あの本を読んだら、私は何を感じるんだろう――。
そんな思いで一日を過ごしたので、少しここに書き留めておこうと思います。
「自分を変えなきゃ」と思っていた頃
子どもの頃から、人づきあいが得意ではありませんでした。
友達がいなかったわけではないし、仲良く話せる人もいましたが、
自分の中にはいつも、「もっと明るくなれたらいいのに」という願望があった気がします。
中学生、高校生、大学生になっても、集団で盛り上がるのが苦手な自分はずっと変わりませんでした。誰かの話題についていこうと無理して笑ったり、気を遣いすぎて疲れてしまったり。「自分はこのままではダメなんじゃないか」と思い続けていました。
教育実習の合宿で感じた孤独
今でもはっきり覚えているのが、教育実習の合宿です。
大学時代、1週間ほど合宿所のような場所で寝泊まりしながら、現場の先生方と一緒に教育実習を行うというものでした。
研究室の友人たちと一緒に参加していたのですが、その中の一人が、他の研究室の仲間たちと打ち解けて、楽しそうに話しているのを見た瞬間、私はなぜだかものすごく寂しくなってしまったんです。
彼女が笑っている姿が、とても自然で、とても遠く感じました。
「ああ、私はこんなふうに人と笑い合えない」
「ここにいても、きっと誰の心にも近づけない」
そんなふうに思ってしまったのだと思います。
その気持ちがきっかけで、「なんで私は生きづらいんだろう」「どうして人との距離感にこんなに悩むんだろう」と、自分の性格を考え始めた記憶があります。
出会った本と「変わらなくてもいい」という言葉
そんな時期に、偶然手に取ったのが本多信一先生の著書でした。
どの本だったか、どうやって出会ったのかはもう思い出せません。
でも、その本にはたしかにこう書かれていました。
「内向型には内向型の良さがある」
「無理に変わらなくても、そのままで大丈夫」
私は本を読みながら、涙が出そうになったのを覚えています。
無理に明るくなろうとしなくていい。
人と同じように振る舞わなくても、生きていける。
「自分を偽って無理をしても、結局つらくなるだけ」
そのことを、ようやく誰かに肯定してもらえた気がしたんです。
誰にも言わなかった、ただ一通の手紙
その時、私は思わずお礼の手紙を書きました。
ファンレター、というよりは「救ってくれてありがとうございます」という感謝状に近かったかもしれません。
返事を期待したわけではありません。ただ、どうしても伝えたかったんです。
「私は内向型人間で、ずっと悩んでいました」
「でも、先生の本を読んで、自分を少しだけ肯定できるようになりました」
「ありがとうございました」
誰にも言っていないけれど、私の人生で、知り合い以外に手紙を書いたのはこのときだけです。
30年経って、今日ふと思い出した
今日、このことをふと突然思い出しました。
理由は分かりません。何かきっかけがあったわけでもないのに、
急に心の奥の引き出しが開いたように、30年以上前の記憶があふれてきました。
探してみたのですが、あの本は手元にありませんでした。
いつの間にか処分したのか、実家のどこかにあるのか……。
もう一度読んでみようかな、という気持ちにもなります。
でも、もしかしたら、もうあの時のような感動は得られないかもしれない。
大人になって、それなりに経験を積んでしまった今では、
あの頃のようにまっすぐ受け止められないかもしれない――とも思います。
それでも。
あの本に、あの言葉に、あの時の私は救われました。
それだけは、今でも確かに覚えています。
最後に
30年も経った今、ふと思い出したあの日の気持ち。
自分を責めることでしか前に進めなかったあの頃の私に、
「そのままでいいよ」と声をかけてくれたような本多先生の言葉。
本が手元になくても、その記憶だけは、私の中にちゃんと残っていました。
そういう記憶が、一つでもあることが、なんだか嬉しいと思った一日でした。
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