魔法の言葉「これは一生ものだから」
若い頃、ファッション誌を読みながらよく目にしていた言葉があるんです。
「これは一生ものだから」――。
その言葉が、なんとなく私の中に刷り込まれていました。
だから、欲しい服がちょっと高かったとしても、買う理由は簡単に見つかりました。
「これは一生着られるから」って。
そうやって、なんとなく納得して、買っていたんです。
高かったあのコートも、スーツも…
もちろん、私が買ったのはシャネルのスーツとかではありません。
でも、デパートで購入した、10万円くらいしたコートやスーツも中にはありました。
それが今も現役かというと……着ていません。
理由は単純です。
流行が変わったし、自分の体型も変わったからです。
「一生もの」って、ほんとにあったのかな?
50代半ばになった今、思うんです。
私にとっての「一生ものの服」って、結局一着もなかったなって。
「買うための言い訳」が欲しかっただけだったのかもしれません。
高い買い物をする自分に、どこかで納得したかった。
でも現実は、着ていない服の山と、タンスの奥に眠る「ときめきの残骸」でした。
今はすっかりプチプラ派です
そんな私が今、どんな服を着ているかというと――全部プチプラです。
流行が変わったらすぐ手放せるし、気兼ねなく着られる。
服に対する“重さ”がなくなった分、逆に自由に楽しめている気がします。
若い頃の私に教えてあげたい
できれば、20代の私に今の感覚を教えてあげたい。
「“一生もの”って、そんなに簡単に見つかるもんじゃないよ」って。
なんなら、「“一生もの”って、あなたにはないよ。」って。
そうしたら、どれだけのお金が今残っていたことか……なんて思ったりもします(笑)
でも、あのときの“ときめき”や、“特別な買い物をした”っていう感覚も、それはそれでよかったのかな。
服そのものは一生じゃなかったけれど、手に入れた時の瞬間の気持ちは、覚えてますね。
プチプラでも、新しいものを手に入れた時には“ときめき”はあるけれど、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入した時のそれは、確かに特別だった気はします。
購入後長い間、クローゼットの中で特別扱いしていたしね。
そういう経験をしたから、今この感覚があるんだろうし、あのキラキラした気持ちを味わったことも価値な気がするし。
単に無駄だったとは思いたくない。この感覚も、「一生もの」と言い聞かせて高い買い物をした感覚と似ているかも。
「一生もの」になるかもしれないもの
服ではないんですけど、20代半ばに購入したエルメスのスカーフが1枚あります。
赤を基調に、金色の鎖の模様。なんでこれを選んだのかな。派手なんですよね。
でもこの子は、私の持ち物の中で「一生もの」の象徴みたいな存在です。
パリッとハリがあって、つやっと美しい一品。その他のプチプラスカーフとは、明らかに別ものです。
結局一度も使ってないんですけどね。
鏡の前で巻いてみたことはありますよ。
ただ、どう頑張っても手持ちの服と合わないんです。
スカーフだけが妙に華やかで、私の手持ち服とは全然バランスがとれなくて。
「歳を取れば似合うようになる」って、購入当時は信じてましたけど。
今、歳取りましたけど、全く似合うようになる可能性は感じません。
おそらく、一生使わない気がします。使えない、の方が合っているかな。
でも、手放したくはないんです。
なぜでしょうね。
箱に入れたまま、ドレッサーの鏡の裏に、置いています。
時々見るたび、購入した時の気持ちを思い出すんです。
「一生懸命働いて、とうとう私もエルメスのスカーフを手に入れたんだ」という、満足な気持ち。
使ってないですけどね。けして嫌な気持ちにはなりません。
一度も使っていないからこそ、その時の記憶が色あせない感じもあるんですよね。
だから、このエルメスのスカーフは、おそらく「一生もの」になりそう。
だとしたら、同じような文脈で「一生ものの服」があってもよかったのに。
でも、私にはなかった。エルメスのスカーフと、あの高かったコートやスーツは、何が違ったんでしょうね。
そんなどうでもいいことを、ただ考えてました。
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