「情けは人のためならず」ということわざ。
小さい頃から耳にしてきたのに、ずっと「人のために情けをかけるのはよくない」という意味だと思っていました。
つまり、甘やかすな、厳しくしろ、という教えなのだと。
けれど、大人になってからその本当の意味を知って、正直、驚きました。
「情けをかけることは、まわりまわって自分のためになる」という意味だったんです。
なんだか少し、打算的にも聞こえませんか。
“自分のためになるから親切にする”というのは、心の動きとしてどこか違和感がありました。
私が誰かに手を差し伸べたいと思うとき、それは「自分のため」ではなく、
ただ「そうしたい」と思ったから。
そんなに心がきれいな自信はないけど、
最初から見返りを求めて親切にするってことは…ないです。
だからこそ、このことわざの意味を知ったとき、
少しだけモヤモヤしたんです。
でも、しばらくしてから思いました。
もしかしたら、“自分のためになる”というのは、
「得をする」とか「助けてもらえる」という話ではないのかもしれない、と。
情けをかけることが、自分の心をやわらかくし、
誰かの痛みを感じられる人間にしてくれる。
それが、まわりまわって「自分を豊かにする」――
そういう意味なんじゃないかと。
たとえば、落ち込んでいる人に声をかけたとき、
相手が笑顔を取り戻してくれる。
その笑顔を見たとき、自分の心にも少し光が差す。
それが「情けは人のためならず」なんだと思います。
だから今はこう思います。
情けは、結果的に自分のためになるけれど、
それは“見返りを期待する”ということではなく、
“人のあたたかさがめぐっていく”ということなんだと。
優しさは、まわりまわって、自分を生かす。
そう思えるようになってから、
このことわざが、急にやさしく見えるようになりました。
このことわざに関して、ここまでに書いた一連のことを考えたのは、
もう10年以上前だった気がするけど、今、なんでまたこんなことを思い出したんだろう。
なぜ急に、今になってブログに書こうと思ったんだろう。
書くネタに困って、ひねり出したわけではないんですけどね。
通勤時間に、なんとなくこのことを思い出して、書いてみようかなと考えてたんですよね。
そしたら。
今になって考えてみると、そもそも、本当の意味を知ったとき、
「“自分のためになるから親切にする”って意味だったのか。」
という解釈をした自分ってどうなんだろう。
って思っちゃいました。
「まわりまわって自分のためになる」っていうことと、
「自分のためになるから親切にする」っていうのはずいぶん違いますよね。
なにか自分の中の闇を感じつつ、
でも、こんなことを考える余裕があるっていうのは、
今幸せなのかなとも思いました。
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