はじめに
「悪気はないんだよ。」
この言葉、言われたことはありますか。
私は、何度もあります。
嫌な言い方をされたあと、 少し傷ついて、 でもその場の空気を壊したくなくて黙っていると、 周りの人が、こう言うんです。
「あの人、悪気はないから」
そのたびに、 心の中で小さく引っかかっていました。
悪気がないなら、 じゃあこのモヤっとした気持ちは、 どこに行けばいいんだろう、って。
今日は、 私がずっと考えてきた 「悪気はない」という言葉について、 少し長く話してみようと思います。
私にとっての「悪気」の定義
まず、 私の中での「悪気」の定義から話させてください。
私にとって悪気というのは、 相手を嫌な気持ちにさせてやろう、 傷つけてやろう、という意図です。
だから正直に言うと、 「悪気はない」と言われる場面でも、 私はなかなか信じきれません。
なぜかというと、 私自身が、 その人と同じ言い方をするとしたら、 それは悪気があるときだからです。
この言い方をしたら、 きっと相手は嫌な気持ちになる。 それが想像できるから、 普段は言わない。
だから、 「そんな言い方、よくできるな」と 思ってしまうんです。
そして周りから、 「あなたが気にしすぎだよ」 「悪気はないんだって」 と言われると、
自分の感覚のほうがおかしいのかな、 私が弱いだけなのかな、と だんだん自信がなくなっていきます。
「悪気はない」の正体
ここからは、 あくまで私の感じ方の話です。
正直に言うと、 私は長い間、 「悪気はない」という言葉を そのまま信じることができませんでした。
本当は、 多少なりとも悪気はある。 でも、 責められないように、 自分でも気づかないふりをしている。
私には、 そう見えてしまうことが多かったんです。
もちろん、証拠はありません。 ただ、 私の感覚では、 そう解釈するしかなかった、というだけです。
ただ最近は、 「もしかしたら、本当に悪気がない人も いるのかもしれないな」と 思うようにもなりました。
でも、 ここで一つだけ、 はっきり言えることがあります。
悪気はない = 優しい ではない、ということです。
悪気はない、というのは、 「相手を傷つけるつもりはなかった」 という意味かもしれません。
でもそれは同時に、 「相手がどう感じるかを 深く考えていなかった」 という状態でもあります。
考えないことで、 自分を守っている。
そういう場合も、 少なくないと感じています。
悪意はなくても、利益は生まれる
嫌な言い方をする人を見ていると、 不思議と共通点があります。
・頼まれない ・相談されない ・期待されない ・仕事が増えない
本人は、 「別に何もしてない」 「悪気はない」 と言うかもしれません。
でも結果として、 その人は“楽”になっている。
感情のフォローをしなくていい。 気を使わなくていい。 面倒な仕事を引き受けなくていい。
つまり、 悪意はなくても、 利益は発生しているんです。
それは、 意図していなくても、です。
じゃあ私も、そうなればいい?
ここまで考えてくると、 正直、こんな気持ちも湧いてきます。
「じゃあ私も、 悪気がない人になればいいのかな」って。
嫌な言い方をして、 距離を作って、 深入りされないようにする。
そうすれば、 気を使わなくていいし、 疲れなくて済むし、 守られるかもしれない。
実際、 そういう生き方のほうが 楽そうに見えます。
優しい人が損をしやすい構造
この社会では、 気づく人ほど、 損をしやすいと思います。
・空気を読む ・言葉を選ぶ ・相手の立場を考える
そういう人が、 我慢する側に回りやすい。
一方で、 「悪気はない」と言える人は、 説明しなくていい。 振り返らなくていい。 謝らなくても済む。
そしていつの間にか、 優しさのほうが 「気にしすぎ」にされてしまう。
でも私は思うんです。
違和感を覚えるって、 感受性がある証拠で、 想像力がある証拠だって。
それを、 弱さや面倒な性格に してしまうのは、 違うんじゃないかな、と。
私の挑戦
実は私は、 一度「悪気はない人」になろうと したことがあります。
何か言うとき、 まず、 いつもの自分の言葉が浮かびます。
そのあとで、 「これじゃ優しすぎる」 「これだと気を遣っている」と思って、
じゃあ、 嫌な人ならどう言うだろう、 と考えます。
それが、 私にとっての二段階です。
普段は選ばない言葉だから、 考えるだけで苦しい。
それを、 実際に口に出すのも苦しい。
そして、 やっと言えたと思ったら、 私はただ、 感じの悪い人になっていました。
器用に、 「悪気はない人」を 演じることができなかったんです。
私の選択
だから私は、 たぶんこれからも 「悪気はない人」には なれません。
楽な生き方でも、 要領のいい生き方でもない。
それでも、 誰かを傷つけない言葉を選ぼうとする 自分でいたいと思っています。
完璧じゃなくても。
そのほうが、 少なくとも、 自分の中のストレスは 少ないからです。
おわりに
もし、 ストレスなく 「悪気はない人」になれるなら、 それを選びたいです。
でも、 こんなふうに考えている時点で、 私はもう、 そうなれない人なんだと思います。
ストレスを抱えながら 誰かを傷つける側に寄っていくか、 今のまま生きるか。
たぶん、 その二択しかありません。
「悪気はない」って、 どういう状態なんでしょうね。
それを演技だとしか 感じられない人に、 理解できる日は来るんでしょうか。
あなたは、どう思いますか。





コメント