満員の通勤電車でも、マスクをしている人は少ない。
駅前のスーパーでも、コンビニでも、カフェでも。
マスク姿の人を見かけることのほうが、少なくなってきた。
そんな中、私は今でもマスクをしている。
それも会社にいるときだけ。
これ、なんでだろうなって。
ふとそんなことを思いました。
もちろん、最初は感染対策でした。
でも、もうそういう段階ではないのも、わかっています。
それでも外せない。
正確には、「外したくない」。
それはきっと、マスクがくれたものが、
単なる“ウイルス対策”以上の意味を持ってしまったから。
たとえば、無理に笑わなくてもよくなったこと。
たとえば、ちょっと黙っていても不自然じゃないこと。
たとえば、顔を半分隠している安心感。
表情を読まれにくくなることで、
“感じのいい人”を演じなくてもよくなった気がする。
「疲れてます?」と聞かれるのも減ったし、
何より、誰かと必要以上に関わらなくて済む。
それって、私にとっては、
ちょっとした逃げ道だったのかもしれません。
職場でも、マスクをしている人はもう少数派になりました。
でも、完全にゼロじゃない。
他にもぽつぽつと、マスク姿の人がいる。
それがちょっと、ほっとするんです。
「この人も、何か理由があるのかな」
「マスク、落ち着くよね…って思ってるのかな」
勝手にそんなふうに想像してしまいます。
でも、聞けないんですよね。
聞いてみたいけど、聞けない。
たぶんあの人も、私に対して同じように思ってるかもしれない。
少し不思議な共犯関係というか、
お互い知らないままに、静かに肩を並べてる感じ。
そんな距離感が、心地よかったりもするのです。
たぶんそのうち、私もマスクを外すと思う。
ある日ふっと、自然にそうなるかもしれない。
でもそれまでは、無理に変わらなくてもいいかなって。
マスクはもう、ただの布きれかもしれない。
でも、私にとっては、ちょっとした「心の防波堤」。
しんどい日も、やりすごすための小さな工夫。
この小さな逃げ道を、
もう少しだけ歩いてみようかな、と思っています
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