インターネットをぼんやり見ていたある日、「静かな解雇」という言葉が目に飛び込んできました。
聞いたことのない言葉だったので、気になって少し調べてみると——
「会社が明言せずに、でもじわじわと社員を退職に追い込むようなやり方」
……その説明を読んだ瞬間、胸の奥がズキンとしました。
あれ、これって。もしかして。
ずっとずっと前、私が体験したあのときのこと——。
それはまさに「静かな解雇」だったのかもしれない。
あのころ、そんな言葉は知らなかったけれど、ひとつだけはっきり感じていたことがあります。
それは「この人たちは、私が自分から辞めるのを待っている」ということ。
期待されていたのは成果でも努力でもなく、ただ”退職”だけだった。
だから私は、とうしてもその望みだけは、叶えたくなかったんです。
「静かな解雇」ってなに?
最近はSNSなどでも話題になっていますが、いわゆる「静かな退職(quiet quitting)」が、自らモチベーションを下げて仕事の境界線を引くことだとしたら、
「静かな解雇(quiet firing)」は、会社側が何も言わずに“辞めさせる”方向へと仕向けること。
直接的にクビとは言わないけれど、仕事を与えない、評価を下げる、仲間外れにする…。
「いづらさ」が毎日積み重なっていくような、あの感じです。
あの時、私は「静かな解雇」されたんだと思う
まだ若かったころ、自分より後輩たちがどんどんプログラミングやシステム設計の仕事を任される中、
私はワープロ打ちやコピーばかりの日々。
「あなたはこっちね」と言わんばかりに、雑用だけが降ってきて、技術的な成長なんて望めるはずもなく。
そして、聞こえてきたのは後輩からの「たけのこさんみたいにはなりたくない」という言葉。
どれだけ胸がギュッとなったか、いまだに忘れられません。
「なんで私だけ?」と相談しても…
勇気を出して上司に相談したとき、返ってきた言葉は「それはあなたに能力がないから」。
その一言で、自分の存在がすっぽり消えてしまいそうな感覚になりました。
本当に、自信なんてひとかけらも残らなかった。
でも私は、辞めなかった
正直、何度も辞めたかった。
でも「今辞めたら、あの人たちが勝ったことになる」って思った。
私が辞めれば、その人たちは“やった”って思うんじゃないかって。
それだけは嫌だ。たとえ嫌な思いをしても、「やめさせた達成感」だけは与えたくない。
辞めたくなるとそんな思いでいっぱいになり、その悔しさだけで、私は辞めませんでした。
振り返ると、違う道もあったかもしれないけれど
もしかして、あのとき転職していたら、もっと違う人生があったかもしれない。
でも、あの苦しかった時間も、今では私の一部。
もし今、同じように「静かに」追い詰められてる人がいるなら、
あなたが悪いわけじゃないって伝えたいです。
おわりに
「静かな解雇」は、外から見ると何も起きていないように見える。
でも、心の中では毎日が戦いで、逃げ出したくなるような日々だったりします。
あのときの私みたいに、今もどこかで耐えている人へ。
自分を責めないでください。
あなたの存在価値は、誰にも決めさせないでほしいです。
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