私は、人をごはんや買い物に誘うのが苦手です。
誰かと一緒に過ごすことが嫌いなわけではありません。
実際に会えば楽しいこともありますし、話を聞いてほしいと思うこともあります。
それでも、
「今度、ごはんを食べに行きませんか」
というひと言を、自分からなかなか言えません。
なぜ人を誘うことがこんなに難しいのか。
あらためて考えてみました。
自分が誘われると、おっくうだから
私が人を誘えない一番の理由は、断られるのが怖いからではありません。
もちろん、断られれば少し寂しいとは思います。
でも、それ以上に大きいのは、私自身が人から誘われると、おっくうに感じることがほとんどだからです。
誰かに誘われると、
- 何を話せばいいんだろう
- 途中で疲れないだろうか
など、いろいろなことを考えます。
誘ってもらったこと自体はうれしくても、その場ですぐに「行きたい」とは思えないことがあります。
そして、行きたくないときに断るのも苦手です。
せっかく誘ってくれたのに申し訳ない。
断ったら、相手を嫌な気持ちにさせるかもしれない。
次から誘ってもらえなくなるかもしれない。
そんなことを考えるため、ひとつの誘いを断るだけでも、かなりのエネルギーを使います。
相手も断りづらいだろうと思ってしまう
自分が誘われたときに困るので、ほかの人も同じだと思ってしまいます。
私が誰かを誘ったら、その人は本当は気が進まなくても、
「断ったら悪いかな」
と悩むかもしれません。
嫌々来てくれるかもしれません。
私が誘ったことで、相手に余計な気を使わせるくらいなら、最初から誘わないほうがいい。
そんなふうに考えてしまうのです。
相手への気遣いのようにも見えますが、実際には、自分の感じ方を相手にも当てはめているだけなのかもしれません。
誘われるとうれしい人もいます。
予定ができることを楽しみにできる人もいます。
都合が悪ければ、あまり悩まずに断れる人もいるでしょう。
それでも私は、つい「相手も断りづらいはず」と考えてしまいます。
それでも、ひとりだけ誘える人がいる
そんな私にも、自分から誘える人がひとりいます。
先日も、話を聞いてほしいことがあり、私からランチに誘いました。
人を誘うのが苦手なのに、なぜその人だけは誘えるのだろう。
考えてみると、答えは比較的はっきりしていました。
その人には、
「都合が悪かったら、いいよ」
と伝えれば、本当に都合が悪ければ断ってくれると思えるからです。
私に悪いからと、無理をして予定を合わせることはない。
気が乗らなければ、正直に断ってくれる。
そして、断られたからといって、私たちの関係が悪くなるわけでもありません。
つまり私は、その人に誘いを断られないと思っているのではありません。
安心して断ってもらえると思っているから、誘えるのです。
私と一緒にいることを面倒だと思わないという自信
もうひとつ、その人を誘える理由があります。
その人は、私と一緒に過ごすことを、基本的には面倒だと思わないだろうと信じられることです。
もちろん、いつでも会いたいわけではないでしょう。
疲れている日もあれば、ほかの予定がある日もあります。
それでも、都合が合えば、私と会うことを嫌だとは思わない。
一緒にごはんを食べたり、話をしたりする時間を、それなりに楽しんでくれる。
そう思えるのです。
結局、私は自分が一緒にいたい人を誘っているだけなのかもしれません。
自分が一緒にいてつらい人は、わざわざ誘いません。
それはごく普通のことです。
ただ、私の場合は、自分がその人と一緒にいたいだけでは足りません。
相手も私と一緒にいることを嫌ではないと信じられなければ、誘えないのだと思います。
人を誘うには、関係への安心が必要なのかもしれない
これまで私は、人を誘えないのは、自分に勇気がないからだと思っていました。
でも、必要なのは勇気というよりも、相手との関係に対する安心なのかもしれません。
断るときは、無理をせず断ってくれる。
断られても、関係は変わらない。
都合が合えば、一緒に過ごすことを楽しんでくれる。
そう信じられる相手だからこそ、私は誘うことができます。
反対に、相手が自分をどう思っているのかわからないと、
「本当は面倒なのではないか」
「断りづらくて、仕方なく来るのではないか」
と考えてしまい、誘えなくなります。
人を誘うことが苦手というより、人との関係に自信を持つことが苦手なのかもしれません。
私を誘う人は、何を考えているのだろう
ここまで考えて、別の疑問も浮かびました。
私は人から誘われることを、負担に感じることがあります。
それでは、私を誘ってくれる人は、私と一緒にいて苦しくないのでしょうか。
私と過ごしたいから、誘ってくれているのでしょうか。
自分にとって誘うことが重いので、誰かから誘われたときにも、大きな意味を探してしまいます。
しかし、人を気軽に誘える人は、そこまで深く考えていないのかもしれません。
「せっかくだから、一緒に行こう」
「一人より、誰かと食べたほうが楽しい」
「都合が悪ければ、断るだろう」
それくらいの軽さで声をかけている可能性もあります。
みんなでわいわいすることが好きで、たくさんの人を自然に誘える人もいます。
その人たちにとっては、「誘う」という行為そのものが、私ほど重くないのでしょう。
誘うことの重さは、人によって違う
人を誘うことを、私はかなり重く考えています。
相手の気持ちを想像し、迷惑ではないかと考え、断りづらくないかと心配します。
しかし、その重さは人によって違うのでしょう。
誘うことにも、それほど大きな意味を持たせない人もいるんでしょう。
断ることにも、私ほど罪悪感を持たない人もいるのでしょう。
どちらが正しいというものではないと思います。
ただ、私は自分の感じ方を、知らないうちに相手にも当てはめているのだと思います。
私を誘ってくれる人が何を考えているのかは、結局わかりませんが、
誘ってくれたということは、少なくともその瞬間、私が一緒にいる選択肢の中に入っていたということです。
それくらいに受け取っておけばよいのかもしれません。
私がひとりの友人を誘えるのは、その人と一緒にいたいからです。
そして、その人も私といることを嫌ではないと信じられるからです。
人を誘えるかどうかは、社交性や勇気だけで決まるものではなく、相手との間にどれだけ安心を感じられるかにも関係しているのでしょう。
今のところ、私はそんなふうに考えています。





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