『Tシャツが乾くまで』最終回感想・考察|好きなのに、なぜ咲子と充は別れたのか?最後の「おかえり」の意味

雑記

※以下、『Tシャツが乾くまで』最終回のネタバレを含みます。

『Tシャツが乾くまで』が終わった。

最終回を見終えて、一番心に残ったのは、咲子と充の別れだった。

正直なところ、あの場面が最終回で一番泣きそうになった。

二人とも、相手を嫌いになったわけではない。

むしろ、どう見てもまだ大切に思っている。

それなのに別れる。

しかも充は、洗濯物が全部乾くまで家にいると言う。

咲子も充を追い出そうとはしない。

二人とも、別れの時間を少しでも引き延ばしていた。

だから私は思ってしまった。

そこまで別れたくないのなら、なぜ別れなければいけないのだろう。

でも、最後の最後まで見て、少し分かったような気がした。

もしかすると二人は、お互いと別れたかったのではない。

「夫婦」という関係をやめたかったのではないか。

そう考えると、最後の「おかえり」までが一本につながってくる。

「好き」と「夫婦でいられる」は別

最終回前、咲子を演じた蒼井優さんは、咲子について興味深いことを話されていた。

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樹生と一緒にいる方が楽そうに見えても、咲子が好きなのは充なのだという。

やっぱり、そうなのだと思う。

咲子は充を嫌いになったから離婚したわけではない。

充も咲子を嫌いになったわけではない。

むしろ、二人はお互いを好きだった。

だからこそ難しかった。

充は、咲子に嫌われないように気を遣う。

咲子は、充がまた突然いなくなるのではないかと怖くなる。

好きだから傷つけたくない。

好きだから捨てられたくない。

好きだから相手の顔色をうかがう。

その「好き」が、夫婦として一緒に暮らす中では、少しずつ二人を苦しくしていった。

夫婦なのだから、好きなら一緒にいればいい。

普通ならそう思う。

私もそう思った。

でもこのドラマは、

好きな人と、毎日一緒に暮らすこと。
好きな人と、夫婦でいること。
好きな人と、ずっとつながっていること。

それらは全部同じではない、と言っていたのかもしれない。

充は帰ってきたのに、元の夫婦には戻れなかった

行方不明だった充が帰ってきた。

普通のドラマなら、ここから夫婦がもう一度やり直す話になりそうだ。

でも『Tシャツが乾くまで』は、そうならなかった。

充が戻ってきたことで、咲子はそれまで知らなかったことを知った。

充には失踪癖があった。

あずさと毎月第3金曜日に会っていた。

咲子には言えないことを、あずさには話していた。

一方の充も、咲子に4回の離婚歴があったことを知った。

二人とも、それまで見えていなかった相手を知った。

秘密を知れば、分かり合える。

そう思いたくなる。

でも実際には、知ったからこそ怖くなることもある。

咲子にとって充は、

「また突然いなくなるかもしれない人」

になってしまった。

充にとっても咲子は、

「また自分から離れていくかもしれない人」

だったのかもしれない。

二人とも相手を好きなのに、その相手を失うことを怖がっている。

そんな状態で毎日一緒に暮らすことが、苦しくなってしまったのではないだろうか。

それでも、別れまでの時間を引き延ばす

理屈では、少し分かる。

でも、あの別れの場面を見ると、やっぱり思う。

本当に別れたい人たちには見えない。

荷物をまとめる。

話をする。

家の中のものを、できるだけ多く洗濯する。

干す。

乾くのを待つ。

充は「全部乾いたら行く」と言う。

そんなことをしなくても、出ていこうと思えば出ていける。

咲子だって、「もう行って」と言えばいい。

でも、どちらもしない。

しかも二人とも、

乾くのを遅らせるよう、洗濯物に水をかけていた。

だから、見ていて切なかった。

同時に、

「だったら別れなくてもいいんじゃない?」

とも思った。

でも、あの長い時間は、

二人が別れるための時間ではなく、夫婦を終わらせるための時間

だったのだろう。

相手を嫌いになったのなら、もっと簡単だった。

でも好きなままだから、時間が必要だった、ということなんだろう。

「Tシャツが乾くまで」が最後にもう一度意味を変えた

そして、ここでタイトルが効いてくる。

最初は不思議なタイトルだと思っていた。

物語の中では、充とあずさがコインランドリーで話す時間と「Tシャツが乾くまで」が重なっていた。

洗濯が終わるまで。

乾燥が終わるまで。

限られた時間だからこそ、普段言えないことを話せる。

ところが最終回では、その意味が変わった。

咲子と充が夫婦でいられる残り時間。

それが「Tシャツが乾くまで」になった。

Tシャツが乾けば、充は出ていく。

だから乾いてほしくない。

でも、乾かなければ次へ進めない。

そう考えると、このドラマのタイトルはずいぶん切ない。

花火大会のチケットも、咲子のためだった

最終回では、もう一つ大きな謎も回収された。

充が持っていた2枚の花火大会のチケットだ。

あずさとの関係が疑われていたこともあり、

「二人で行くつもりだったのでは?」

と思わせるものの一つだった。

でも、違った。

充は咲子のために用意していた。

これを知ると、また切なくなる。

充には確かに秘密があった。

咲子には言えないこともあった。

でも、咲子を愛していなかったわけではない。

むしろ、ちゃんと咲子との時間を考えていた。

だから、

もし事故がなかったら。

もし充がいなくならなかったら。

もし二人がもう少し話せていたら。

そんな「もし」が残る。

別れるしかなかった二人、という感じではない。

別れなくてもよかったかもしれない二人が、それでも夫婦でいることをやめた。

だからこそ、あの別れが悲しかったのだと思う。

樹生とは恋愛にならなかった

そして、もう一つ気になっていたのが咲子と樹生だった。

私は、この二人がどうなるのかを、もっと見たかった。

事故で大切な人を失った者同士。

一緒に食事をする。

洗濯をする。

いろいろなことを話す。

充と一緒にいる時とは違って、咲子が無理をせずにいられるように見えた。

だから中盤までは、

「もしかすると咲子は樹生と一緒になるのでは?」

とも思った。

そうなるドラマを見たかった。

でも、そうはならなかった。

二人は恋人にはならず、親しい友人のような関係を続けている。

少し物足りない気もした。

もう少し、その後の二人を見たかった。

でも今考えると、ここもこのドラマらしい。

一緒にいて楽な異性だから恋人になる。

好きだから結婚する。

結婚したからずっと一緒に暮らす。

『Tシャツが乾くまで』は、そういう分かりやすい関係に人を当てはめなかった。

最後に帰ってきたのは、充なのではないか

そして最後の場面。

ここは、放送後にも「誰が来たのか」と話題になっている。

樹生ではないか。

充ではないか。

あるいは新しい恋人なのではないか。

でも私は、やっぱり充だと思う。

理由はいくつかある。

まず、咲子が冷蔵庫からかぼちゃを出す。

ところが、

「今日はいらないや」

というように、また冷蔵庫へ戻す。

充は、かぼちゃが苦手だった。

そして部屋には、大きな白いTシャツも干されている。

何より決定的に感じるのが、インターホンが鳴った時の咲子の言葉だ。

「おかえり」

初めて家に来る人や、普通の友人に使う言葉ではない。

少なくとも咲子にとって、その人は「帰ってくる人」なのだ。

これらを重ねて考えると、最後にやってきたのは充と考えるのが一番自然に思える。

では、なぜ充の姿を見せなかったのか

ここが、この最終回で一番面白いところなのかもしれない。

充なら、普通に充を映せばいい。

「おかえり」

「ただいま」

で終わってもいい。

でも、あえて姿を見せなかった。

なぜだろう。

私は、「充と復縁しました」という終わり方にしたくなかったからではないかと思う。

咲子は充に、これは今生の別れではないという趣旨のことを話していた。

戸籍が別でもいい。

一緒に住んでいなくてもいい。

会うのが週に一度でも、月に一度でもいい。

つまり咲子が望んでいたのは、

「充を人生からいなくすること」

ではなかった。

夫婦という形をやめて、自分たちが苦しくならない距離でつながること。

だったのではないだろうか。

「かぼちゃを戻す」が、実はすごくいい

そう考えると、最後のかぼちゃがとてもいい。

一人なら、咲子はかぼちゃを食べればいい。

でも今日は充が来る。

だから今日はやめておく。

以前の二人なら、

夫婦だから。

一緒に暮らしているから。

毎日の生活の中で、相手に合わせる。

それが積み重なれば、窮屈になることもある。

でも今は違う。

普段は自分の好きなものを食べればいい。

充が来る日は、

「今日はかぼちゃやめとこう」

と思う。

毎日相手に合わせるのではなく、会う日に少し相手に合わせる。

ほんの小さな場面だけれど、二人が見つけた新しい距離感を表しているように思えた。

二人は「別れた」のではなく、「夫婦をやめた」

そう考えて、ようやく最初の疑問に戻る。

私は咲子と充の別れを見ながら、

「こんなに別れたくなさそうなのに、なぜ別れるの?」

と思った。

たぶん、その疑問自体が少し違っていた。

二人は、お互いから離れたかったわけではない。

相手を嫌いになったわけでもない。

二人がやめたかったのは、夫婦という形だった。

一緒に住んで、毎日顔を合わせて、夫婦だからこうするべきだと考える。

その形では、二人はお互いを好きでい続けることが難しくなっていた。

だから、一度そこから降りた。

でも縁まで切ったわけではない。

最後の「おかえり」は、その答えだったのではないだろうか。

夫ではない。

一緒にも暮らしていない。

でも充は、咲子のところへ帰ってくる。

そして咲子は、

「おかえり」

と言う。

最後まで「関係に名前をつけること」を問い続けたドラマだった

振り返ると、『Tシャツが乾くまで』はずっと、人と人との関係について描いていた。

夫婦。

恋人。

友達。

不倫。

元夫婦。

家族。

でも、人の気持ちはそんな言葉だけではきれいに分けられない。

充とあずさもそうだった。

咲子と樹生もそうだった。

そして最後には、咲子と充まで、簡単には名前をつけられない関係になった。

離婚した元夫婦。

そう言えばそれまでだ。

でも、それだけでは説明できない。

だから最後に充の姿を見せなかったのかもしれない。

「二人は復縁しました」

という答えにしてしまったら、また関係に名前がついてしまう。

そうではなく、

お互いが心地よいと思える距離で、大切な人としてつながっている。

それでいい。

そんな終わり方だったのではないだろうか。

「おかえり」で終わったことが、このドラマの答えなのかもしれない

最終回で一番泣きそうになったのは、咲子と充が別れる場面だった。

でも最後まで見た今は、あの場面を「二人の別れ」と呼ぶのもちょっと違う気がしている。

洗濯物が乾くまでの時間を引き延ばしていた二人は、本当はお互いと別れたくなかった。

だから、別れなかった。

夫婦でいることをやめただけだった。

そして最後。

咲子のところへ誰かが帰ってくる。

咲子は笑顔で、

「おかえり」

と言う。

相手の姿を見せないまま、ドラマは終わる。

かぼちゃとTシャツと「おかえり」を考えると、私には充としか思えない。

だったらこれは、

「好きなのに別れた二人」の物語ではなく、
「好きでいるために、夫婦をやめた二人」の物語だったのだろう。

そう考えると、最終回を見た直後に感じた「なぜ別れる必要があったのだろう」というモヤモヤが、少しだけ腑に落ちた。

『Tシャツが乾くまで』を最終回まで見て、改めて「なぜこのドラマにこんなに惹かれたのだろう」と考えてみた。ドラマ全体の面白さについては、こちらの記事にまとめている。

『Tシャツが乾くまで』はなぜ面白い?視聴者が夢中になる5つの魅力【ネタバレ控えめ】
TBS金曜ドラマ『Tシャツが乾くまで』はなぜ面白いのか。先の読めないストーリー、蒼井優さんの演技、生方美久さん脚本の魅力、視聴者を惹きつける理由をネタバレを抑えながら紹介します。
プロフィール
この記事を書いた人
たけのこ

50代女性会社員です。子育てがひと段落し、趣味を楽しみながら定年までの会社員生活を過ごしています。
趣味はサンフレッチェ広島を中心としたJリーグ観戦。最近はWEリーグも気になり始めました。その他、好きなYoutuberさんの話など、日々気になったことを綴っています。

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