『Tシャツが乾くまで』第7話感想・考察|二人はもう「Tシャツが乾くまで」の関係ではなかった

雑記

※この記事は『Tシャツが乾くまで』第7話のネタバレを含みます。

『Tシャツが乾くまで』第7話を見た。

今回は、これまで謎だった「第3金曜日」に、充とあずさが何をしていたのかがかなり明らかになった。

二人は不倫関係ではなかった。

それなのに、見終わったあと、どうにもすっきりしなかった。

世間の感想を見ると、「不倫よりたちが悪い」という厳しい声もある。

咲子の立場になれば、確かにつらいだろうとも思う。

そして、いろいろ考えていて気づいた。

問題は、不倫だったかどうかではないのかもしれない。

充とあずさは、いつの間にか「Tシャツが乾くまで」の関係ではなくなっていた。

私は、そこが大きかったのではないかと思う。

「Tシャツが乾くまで」なら、何も問題なかった

充とあずさは、コインランドリーで出会った。

洗濯物が乾くまでの間、たまたまそこに居合わせて話をする。

普段なら言えないことも、あまり自分を知らない相手だから話せる。

次にいつ会うかわからない。

嫌われても構わない。

だからこそ、本音を話せる。

そんな関係だった。

私は、そこまでなら特に問題ではなかったと思う。

充が結婚していても、コインランドリーでたまたま会った人と話すことまで咲子に報告する必要はない。

相手が女性であっても、それだけで何か悪いことをしているとは思わない。

むしろ、そういう相手だから話せることがある、という充の感覚もわかる。

ところが二人は、そこで終わらなかった。

月に一度会うようになった時点で、何かが変わった

充とあずさは、毎月第3金曜日に会うようになる。

偶然ではなく、

「この日に会う」

という関係になる。

そして充は、咲子には話していなかったことをあずさに話していく。

自分の家族のこと。

過去のこと。

突然いなくなってしまうこと。

充は、あずさなら嫌われてもいいから話せた、という。

それは、わからなくもない。

大切な人だからこそ、言えないことはある。

嫌われたくない。

心配させたくない。

関係を壊したくない。

だから言えない。

一方で、どう思われても構わない人だからこそ話せることもある。

でも私は思う。

それは本当に、最後まで「嫌われてもいい人」だったのだろうか。

あずさは、なぜそこまで充に近づいたのだろう

私は今回、あずさを見ていて少し不思議だった。

コインランドリーで知り合って、話してみたら気が合った。

月に一度会うようになった。

そこまでは、まだわかる。

でも、あずさは充の働く喫茶店まで訪ねてくる。

そしてとうとう、長野の実家へ行く充についていく。

なぜ、そこまで?

私はどうしてもそう思ってしまった。

恋愛感情だったのかどうかはわからない。

これからあずさの日記をもっと読めば、そこは少しわかってくるのかもしれない。

でも少なくとも、

あずさにとって充は、もう「その場だけ何でも話せる人」ではなかった。

それだけは感じる。

わざわざ会いに行く。

相手のことをもっと知ろうとする。

そして実家にまでついていく。

どうでもいい人には、そこまでしないだろう。

充にとっても、あずさは「嫌われてもいい人」だったのか

そして、それは充の側も同じだったのではないかと思う。

何度も会う。

自分のかなり深いところまで話す。

家族のことまで話す。

そして実家へ向かうときにも、あずさが一緒にいる。

そんな相手を、本当にいつまでも

「嫌われても構わない人」

と思っていられるだろうか。

私は、そうではなかったように思う。

恋人ではない。

夫婦でもない。

普通の友達という言葉もしっくりこない。

「親友」がいちばん近いんだろうか。

とにかく二人は、

夫婦とは違う形で、お互いが唯一無二に近い大切な存在になっていた。

そんなふうに見えた。

だからこそ、咲子にとっては苦しいのだと思う。

「不倫じゃないから大丈夫」ではない

咲子が傷ついた理由も、そこにあるのではないかと思う。

自分には話してくれなかったことを、夫は別の女性に話していた。

しかもその女性とは月に一度会っている。

自分の知らない夫を、その女性は知っている。

「でも不倫じゃないよ」

と言われても、それで安心できるだろうか。

むしろ、

それなら二人は、いったい何だったの?

と思うのではないだろうか。

身体の関係があれば「不倫」という名前をつけられる。

でも充とあずさの関係には、うまく名前をつけられない。

名前がないからこそ、どこまで許せばいいのかもわからない。

そこが、咲子にとって余計につらいような気がした。

そして私は、充はあずさから逃げたのではないかと思う

第7話を見て、もう一つ強く思ったことがある。

充がサービスエリアで突然いなくなった理由だ。

私は、

充は、あずさから逃げたのではないか

と思っている。

充は、長野の実家へ行ったあと、その日のうちに咲子のところへ帰る予定だった。

つまり、あの日の朝の時点では、咲子から逃げるつもりではなかったはずだ。

帰るつもりだった。

ところが、あずさと一緒に長野へ向かう途中、突然いなくなった。

そのとき、充の目の前にいたのは咲子ではない。

あずさだった。

だから私は、あの日に限って言えば、

咲子から逃げたというより、あずさから逃げたように見える。

大切になってしまったから、逃げた?

なぜ、あずさから逃げたのだろう。

もちろん、ドラマの中では明確には語られていない。

この先も、はっきりした答えは出ないかもしれない。

それでも私は、

あずさとの関係が深くなりすぎたからではないか

と思っている。

最初は気楽だった。

嫌われてもいい。

何を話してもいい。

洗濯物が乾けば、それぞれの生活へ帰る。

ところが、その人と月に一度会うようになった。

自分の過去を知っている。

そしてとうとう、自分の実家にまでついてくる。

あずさはもう、

「Tシャツが乾いたら別れる人」

ではなくなっていた。

充の人生の中に入ってきていた。

そのことに、充自身が気づいたのではないだろうか。

あずさが嫌だから逃げたのではない。

むしろ、

大切になってしまったから逃げた。

私はそんなふうに見ている。

バスの事故で、咲子のところにも帰れなくなった?

ただ、ここで疑問が残る。

あずさから逃げただけなら、そのまま咲子のところへ帰ればいい。

もともと、そのつもりだったのだから。

それなのに、充は帰らなかった。

私は、バスの事故が大きかったのではないかと思う。

自分が降りたあと、あずさを乗せたバスが事故に遭った。

そのことを知った充は、もう何事もなかったように咲子のところへ帰れなくなったのではないだろうか。

帰れば、

「あずさって誰?」

という話になるかもしれない。

なぜ二人で長野へ行っていたのか。

なぜ月に一度会っていたのか。

説明しなければならなくなる。

それに向き合うくらいなら、

あれほど嫌だった両親のところにいるほうが、まだマシだった。

そんな選択だったのではないか。

充は「今、目の前にあるもの」から逃げる人なのかもしれない

そう考えていくと、充の一年間が少し違って見えてきた。

なぜ、あれほど嫌っていた両親と一年近く暮らせたのだろう。

私はそこが不思議だった。

でも、もしかすると充は、

「どこにいたいか」

で行動している人ではないのかもしれない。

「今、どこから逃げたいか」

で動いている人なのではないか。

あずさとの関係が深くなって苦しくなった。

そこから逃げた。

咲子のところへ帰れば、あずさについて説明しなければならない。

そこからも逃げた。

だから両親のいる実家へ行った。

嫌な場所ではある。

でも、そのとき目の前にある一番向き合いたくないものからは離れられる。

だから、そこにいられた。

そして今度は、実家から逃げてきた

ところが父親が亡くなる。

母親と二人の生活になる。

そこでもまた、充は苦しくなったのではないだろうか。

そして今度は実家から逃げる。

逃げた先が、咲子のいる家だった。

そう考えると、第6話で私が不思議に思った、

一年もいなくなったのに、どうしてこんなに普通に帰ってこられるんだろう、

という充の態度まで少し理解できる。

充は、

「一年ぶりに妻と向き合おう」

と覚悟を決めて帰ってきたわけではないのかもしれない。

ただ、

今いる場所から離れたかった。

その先に、咲子のいる家があった。

そう考えると、充の行動が一本につながる。

私が充を完全には嫌いになれない理由

もちろん、これは私の考察にすぎない。

充が本当にそう考えていたのかはわからない。

それに、仮にそうだったとしても、充のしたことが正しいとは思わない。

残された咲子はたまったものではない。

一年間逃げ続けて、突然帰ってこられても困る。

それでも私は、充を完全には嫌いになれない。

たぶん、

人間関係から距離を取りたくなる感覚が、私にも少しわかるからだ。

私には、古くから付き合っている友人がほとんどいない。

人と付き合っているとき、自分では気づかないうちに無理をしていることがある。

そのときは普通に付き合っている。

嫌いなわけではない。

楽しく話すことだってある。

でも、物理的に離れると、そのまま疎遠になることが多い。

離れていなくても、意識的に距離を置くこともある。

嫌いだからではない。

その関係をずっと維持することが、しんどくなってしまうのだと思う。

もちろん、充のように突然いなくなるわけではない。

でも、

「嫌いではないのに離れたくなる」

という感覚なら、少しわかる。

だから私は、充を見ながら、

「何やってるんだ、この人」

と思う一方で、

「でも、なんとなくわかる」

とも思ってしまうのかもしれない。

逃げた先にも、また人がいる

充の行動を「逃げ」という視点で見ていくと、少し皮肉なことにも気づく。

人間関係から逃げても、その先にはまた人間関係がある。

あずさから逃げた先には両親がいた。

両親との生活は、やがて母親との二人暮らしになった。

そこから逃げた先には咲子がいた。

そして咲子のところへ戻れば、結局、あずさのことを話さなければならない。

一年間逃げても、問題は消えていなかった。

むしろ大きくなって待っていた。

人と関わって生きている以上、ずっと逃げ続けることはできない。

充はこれから、それに向き合うことになるのだろうか。

二人はいつ「Tシャツが乾くまで」を越えてしまったのだろう

そして、第7話を見終わった今、改めてドラマのタイトルが気になっている。

『Tシャツが乾くまで』。

最初の充とあずさは、本当にそんな関係だった。

洗濯物が乾くまで。

その短い時間だけ話す。

乾いたら、それぞれの生活へ帰る。

私は、あのままなら何も問題はなかったと思う。

でも二人は、そこを越えてしまった。

次に会う約束をした。

月に一度会うようになった。

自分の過去を話した。

そして、一緒に長野へ向かった。

いつからだったのだろう。

充とあずさが、

「Tシャツが乾くまで」の関係ではなくなったのは。

そしてもしかすると。

充がサービスエリアで逃げたのは、

そのことに気づいてしまった瞬間だったのではないだろうか。

本当の理由は、最後までわからないかもしれない

これから、あずさの日記が事故の前日あたりまで読まれるのかもしれない。

そこから、あずさが充をどう思っていたのかはわかってくるかもしれない。

でも、それで充がなぜあの日バスを降りたのかまでわかるとは限らない。

日記に書かれているのは、あずさの気持ちだからだ。

もしかすると、

「充は誰から逃げたのか」

という問いには、最後まで明確な答えが出ないのかもしれない。

それでも第7話を見た今、

私は充があずさから逃げたように見えている。

嫌いだったからではなく、

大切になってしまったから。

「Tシャツが乾くまで」で終われるはずだった関係が、終われない関係になってしまったから。

これは私の勝手な考察だ。

第8話を見たら、まったく違うことを言っているかもしれない。

でも、そんなふうにいろいろ考えたくなるところが、

やっぱりこのドラマの面白さなのだと思う。

プロフィール
この記事を書いた人
たけのこ

50代女性会社員です。子育てがひと段落し、趣味を楽しみながら定年までの会社員生活を過ごしています。
趣味はサンフレッチェ広島を中心としたJリーグ観戦。最近はWEリーグも気になり始めました。その他、好きなYoutuberさんの話など、日々気になったことを綴っています。

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